2015.8

 

昭島教区

 

家族一同の信心で当病平癒のお計らい頂く

 

ありがとうございます。

 

私は清流寺昭島教区の樋口と申します。

今年で七十七歳になります。

 

私は現在も闘病中ですが、発病から今日までの経過と大きなお計らいを頂いたことを、ご披露申し上げます。

 

平成十八年十一月自転車を一時間程乗り回した後、血尿がありました。

以前から頻尿や残尿感はあったけど年齢的なものと勝手に判断していました。

血尿を見て即病院で診察を受けました。が血尿は問題にせず直ぐ検査でした。

検査は生検やら骨シンチグラムでした。前立腺のPSA値は「6」以上ならガンの疑いです。

 

ところが私の結果は何と腰回りの仙骨、第五脊柱は真っ黒、首、背中、大腿部なども点々と黒く写っていました。直ちに月一回のホルモン注射と飲み薬そして骨対応の注射が始まりました。

この間家内ともどもお参詣に励み、お寺では当病平癒のご祈願言上をして頂きました。

 

実は私は昭和四十四年に結婚するまで本門佛立宗を知りませんでした。

家内の父、吉野仁平は清流寺の熱心な強信者でお役も連合長をはじめ沢山のお役を頂きご奉公させて頂いていたようです。

しかし私に入信を奨めたことは一度もありませんでした。

ただ結婚を申し込んだ時「娘は佛立宗を続けてもよいか」と確認したことのみでした。

これが自然に入信する伏線でした。独身の私はすることもないのでお会式の時は義父のそばにいて書き物の手伝い、お供養のお弁当作りやテント・幕張のご奉公など。

しかしお会式終了後の御奉公者のお看経や家内についていっての夏期参詣や寒参詣は、ただじっと座っているのみでしたが、いつの間にか膝を打つようになり、お題目を口にするようになりました。

 

入信は何時なのか分からないまま自然に家でも真剣にお看経をあげるようになりました。

ガンが見つかってからは尚一層お総講、寒、夏期参詣、お講席にもお参詣するようになりました。

実は、今回は三度目の大病なのです。

 

平成十年には、大腸ガンが見つかり大手術となり人工肛門を半年間経験しました。

後日わかったことですが、執刀医は名だたる名医だったのです。

もう一度は平成二十三年。胃ガンと診断され、これまた難易な手術でしたが、手術の先生が「よく見つけた」と感心する程の早期発見でした。お計らいで無事にすみ、その後は元気に過ごしておりました。

まさに「切られの与三郎」のようです。

 

さて、今回の病状と言えば飲み薬が次々効かなくなり、いやな抗がん剤の点滴です。

約一年続けた平成二十五年二月数値が下がったのにアレルギーが出て中止になりました。

先生に思わず「死を待つだけですね」と言ってしまいました。

しかし御法様は見捨てませんでした。半年後には新しい飲み薬が認可されたのです!

しかも骨に転移の様子は八年検査していないので診たところ真っ白でした「先生これはガンが無くなったのですか」先生は簡単に「そうですね」と言うのみ。私の方は飛び上がらんばかりの嬉しさでした。

あのつらい、つらい点滴から解放されたうれしさ。しかしもう薬がなく目の前が真っ暗でしたが、新薬を聞いた時の喜び。骨への転移が無くなっていたこと。そして、この五月のPSA検査値は「10」に下がっていたこと。

 

こんな大きなお計らいを頂いた今は家族一同随喜しております。

特に、家内にはいつもはげまし、つくしてくれて感謝しています。

 

御法門を聴聞したお教歌のなかに

「唱へつつ いかがあらんと 思うとも 利生を見るぞ妙の法力」

全くこの御教歌通りだと思っています。また、義父 吉野の生前積んだ功徳が自分に回っていると感じています。

 

佛立宗のご信心、御題目にお出会いさせて頂いた喜びを忘れずに、これからも信心第一に御奉公に励ませて頂きます。

 

                                                                                      合掌

「追記」

- 孫三人からの手紙です。-

 

ミスター元気になってうれしいです。

私達もお題目おとなえします。

またお寺で私達を可愛がって下さるお導師、奥様、おじさん、おばさん、そしておねえさん、ありがとうございます。これからもよろしくお願します。