2022.12.1

昭島教区

日堯上人御三回忌報恩への厚志 長年の念願・教化成就

 

ありがとうございます。

 

僭越ながら、体験談を二つ御披露させて頂きます。

 

一つ目は、先日頂きました、お教化成就の御利益です。それは10月10日の朝の事です。

自宅近くのコンビニへ買い物に行き、レジにて会計をしておりました。

すると、店長の奥様のFさんが、「最近、仕事の事で悩みが多くて、もうどうして良いかわからない。一度お寺に連れて行ってもらえませんか。」と突然お話を頂きました。

以前より、Fさんご夫妻には、下種をさせて頂いておりました。

「Fさん、私は八王子の清流寺というお寺にお参詣させて頂いております。世界最高のご信心、お祖師様のお題目のご信心をさせて頂いております。どんな悩みでも、必ず御利益を頂きます。また清流寺の御住職は、とても人情深く、素晴らしいお方です。今度一度、一緒にお寺に参りましょう。」とお話させて頂きました。その時はまだ、時機未熟の為、「そうですね、機会が有りましたら。」と断られておりました。

 

それが、時機到来し、お教化のチャンスが巡って参りました。

私は早速お寺に参り、御住職に事の次第をお話させて頂きました。

すると御住職より、「それは有り難い、素晴らしいですね。Fさんを、お助けさせて頂きましょう。早速明朝より、F家先祖代々のお塔婆を建立し、お看経させて頂きます。お会いするのを、楽しみにしております。」

と有り難いお言葉を頂きました。お寺からの帰り道、とても嬉しい気持ちで一杯でした。

 

しかし、それからです。お寺参詣の日程を決めようと、Fさんに何度連絡するも、応答が有りません。

お店に何度足を運ぼうと、避けられてしまいました。

そして3日目の朝、私の携帯電話にFさんより、「申し訳ないけど、お寺に行くのは、辞めさせて頂きます。」とお断りの電話が有りました。

第三者の反対があったように思われます。その旨を、御住職にご連絡させて頂くと、御住職より、「残念ですが、得てして末法の教化とは、そういうものだと思います。逆縁であっても、下種できましたから、それで良し、としましょう。」と痛み入る、有り難いお言葉を頂きました。

私には、一つ、大きなお願いがございました。それは数日後に迫った、当山第二世住職日堯上人御三回忌の、お供え教化です。

昔から、お世話になりっぱなしの日堯上人に、少しでも御恩返しの御奉公をと思い、御宝前様に一心に、御祈願をさせて頂いておりました。

 

そして、10月17日の夜。この日は父の73回目の誕生日でした。

現在は横浜で、一人で暮らしております。27年前、私が父にご信心をおすすめさせて頂いた際には、「俺が、神だ、仏だ、信心はしない。」と全く聞く耳を持っておりませんでした。

20年程前の一時期、ご信心をさせて頂きましたが、ここ10年程はご信心から離れ、以前の聞く耳を持たない父でした。「お父さん、お誕生日おめでとう。」と電話をしました。

すると父が、「実は最近、目の調子が悪いんだ。」と珍しく、弱々しい声。

ここはお教化のチャンスだと思い、「お父さん、もう一回、ご信心をさせて頂こう。

そうすれば、目の調子も必ず良くなる。俺が今行っている八王子の清流寺は、最高のお寺だよ。

御住職も、お教務さんも、ご信者さんも、皆様素晴らしいよ。お父さんも今、ご信心をさせて頂こう。」と父に話しました。

すると、「わかった。老いたら、子に従えだ。おまえの言う通りに、ご信心させて頂くよ。」と豪気な父が、素直な返事。

 

19日の、日堯上人御三回忌の前日御奉公の際、御住職、乗学師、部長にご報告させて頂き、皆様がとても喜んで下さいました。御住職より、「Fさんの下種の功徳で、お父さんがお教化になりましたね。繋がっていますね、良かったです。」とお話を頂き、諦めず御祈願を続けて来て、本当に良かったと、改めて随喜させて頂きました。

 

そして、日堯上人御三回忌、当日の朝参詣に御住職より、父の入信証を言上させて頂きました。

何とか間に合い、少しでも日堯上人にお喜び頂けたらと、本当に有り難いお教化のお計らいを頂きました。

 

二つ目の御利益は、清流寺初代住職・権大僧正日序上人より頂いた、命の御利益です。

それは昭和49年、母が父の住んでいる秋田へ、嫁ぐ時の事です。当時祖母が、清流寺でご信心をさせて頂いておりました。母が嫁ぐ際、祖母は日序上人より、「秋田へお嫁に行く娘さんに、懐中御本尊をお供させなさい。」とお折伏を頂き、祖母は母に、懐中御本尊をお供させました。

 

そして、昭和53年、私が2才の時の事です。大事件が起きました。

それは秋田県を、台風が襲った当日。私は家の近くにある駄菓子屋へ、10円玉を握りしめ、お菓子を買いに行きました。当時住んでいたアパートの前を、小さな川が流れており、橋を渡った先が駄菓子屋でした。

私は5円のお菓子を買い、お釣りの5円玉を握りしめ、橋を渡り、アパートに帰ろうとした時の事です。

お釣りの5円玉をうっかり、川の中へ落としてしまいました。

今であれば、増水した急な流れの、危険な川とわかりますが、当時2才の私は、お釣りの5円玉を拾わなければと、川の中へ落ちてしまいました。

普通であれば、橋の下を通り、その先の田んぼで後日、遺体で発見されていた事でしょう。

まして川は泥水で濁っており、落ちた瞬間を見ていなければ、誰も気が付きません。

 

しかし、大きな御利益でした。

反対側の道路から、県の職員の男性二人が、私が川に落ちるのを、なんと見ていたのです。

二人は、子供が川に落ちた、大変だという事で、先廻りをして川に飛び込み、川の中に腕を入れて待っていたそうです。

 

橋の下を通過した私が、何かに引っかかり流れて来なければ、溺死でした。

それがお計らいで、どこにも引っかからず、流れて来た私を、二人が拾い上げて下さいました。

しかし、その時の私は、息をしておりませんでした。

二人はすぐに、私を駄菓子屋へ運び、そのうちのおひとりが、なんと人工呼吸が出来る方で、人工呼吸を施して下さり、私は一命を取り留めました。

 

その事を、地元の秋田さきがけ新聞の記者が取材に来られ、翌日の新聞に、県の職員二人が奇跡的に、川に落ちて呼吸停止の2才の子供を、人工呼吸で助けたと掲載されました。

 

後日母が、その助けて下さった男性職員宅へ、御礼にお伺いさせて頂いた際、その男性職員のお母様より、「この子はきっと将来、人の為に役に立つ、人間になりますよ。」と言われたそうです。

 

この時に、母が護持させて頂いておりました懐中御本尊・御宝前様が、また懐中御本尊をお供するようにと、お折伏下さいました日序上人が、私の命を救って下さったのです。

 

この上は、お計らいで頂いたこの命を、御宝前様・日序上人・日堯上人・御住職にお喜び頂けます様、精一杯、教化・折伏の御弘通御奉公に励まさせて頂きます。

御住職、お教務方、ご信者の皆様、今後共ご教導の程、何卒宜しく御願い申し上げます。

 

ありがとうございました。