「日序上人と将棋」

 

 それはあっという間に済んだ。

 

 もう30数年も前の話である。壮年会で文化担当の係をしていた私は幹事長である本庄さんと一緒に法宅の日序上人の部屋を訪れた。

 

 目的は、お導師の名を冠した住職杯を作っていただき、将棋大会を行うことについての了解を得ることである。

 

 日ごろの御弘通や勉強会での日序上人ついては、厳しいお方だというイメージを私たちは抱いていた。

 

 それ故、住職杯を作り将棋大会を行うという要望は受け入れて頂けるかどうか心配していたのである。

 

 ところが、幹事長が一応趣旨を説明し、ご了承を得たいとお願いすると“いいでしょう。”とあっさりお許しを得たのである。

 

 色々質問されたり、最悪の場合は拒否されたりするのではと恐れていた話があっけなく済んでしまった。

 

 ほっとしたのと同時に、拍子抜けの感じもしました。

 

 その後、何回か住職杯争奪の壮年会将棋大会が開催された。

 

 まだ新本堂が建立される前なので、あの旧本堂が会場である。

 

 日序上人も何回か大会に参加された。十人前後集まったと思う。

 

 人数が十数人になるようなときはトーナメント方式で、少ないときは総当たり制で優勝者を決めた。日序上人も結構お強くて準優勝とか三位以内に入賞されたと思う。

 

 もちろん、覇者には自ら住職杯を手渡されました。私も対戦したが、“お導師だと思って遠慮することはないよ“と対戦者によく言われていた事が強く印象に残っている。すごくにこやかで優しい面をお持ちであった。旧本堂のあのガランと広い場所で、寒いときはストーブを付けて、あちらこちらで座布団に座って対戦したものである。

 

 優勝回数は、もう故人となられたが羽村教区の三堀さんが最多であった。現在、将棋界では藤井聡太7段という天才が登場し、将棋の人気も上がっているように思われる。しかし、当壮年会ではちょっと事情が違う。将棋人口が減り今やその地位をカラオケに譲っている。

 

 時の流れとともに趣味や娯楽も変わるが、これが私にとって忘れられない日序上人との思い出の一ひとコマである。

 

以上