いくつもの思い出

東村山教区

いくつもの思い出

 

ありがとうございます

 私が寺務所に入らせて頂いて直ぐに住職継承式があり、日堯上人がご住職になられました。

その数か月後、あっという間に初代ご住職の日序上人が御遷化になられました。

 

 あれから20数年御奉公させて頂き、もうそろそろ引退させて頂こうかと決心はしたものの、なかなか言い出せなかったときに日堯上人が察してくださり、「やめようと思っているんでしょう?」と言ってくださって、ホッとしたことを思い出します。

その後無事に後任も決まり、8月31日に勤務終了の挨拶に庫裏へ伺ったとき、なかなか玄関にお見えにならず、お忙しいのだろうとご挨拶も簡単に済ませてしまいましたが、その時すでに具合が悪く、その様な中わざわざ玄関まで来て下さったのでしょう、大変お疲れだったご様子、それが最後になってしまいました。

 

 日堯上人は御出向が多く、本山・ハワイ・メルボルン・全国の他寺院の団参に私もたびたびご一緒させて頂きました。

他寺院からの奉修導師のお願いが14ヶ寺もあった年があり、「1年は12ヶ月なのに14ヶ寺からもどうしよう!」と寺務所でお話され、「そこは何とかしてくださいな。」と冗談を言っていたこともありました。

メルボルンの直行便がなくなると聞いて、「今回は団参がないけれどもご一緒させていだけませんか?」と数名でお願いに伺ったところ、快く承諾して下さい

ました。

空港での待ち時間など食事が一緒になった際には「これ美味しんだよ。」と言って勧めてくださったこともありました。

 

 私は晴れ女なので団参は晴れなのですが、一度泊りがけの団参先では雨がやまず、翌日の御法門では「晴れ女を連れてきましたが、今回は効きませんでした。」と日堯上人が謝っておられ、本当に申し訳なかったと思います。

 

 帰宅時に八王子駅まで車に同乗させていただき、駅の入口で奥様と一緒に降りて改札口に着くと、もう向かいには駐車場に車を置いてきた日堯上人が立って私たちを待っていらして、「足の長さの違いねぇ~。追い越されちゃったわ。」などと奥様と感心したこともありました。

 

 家族の事も良く気にかけてくださり、主人が病気で入院した時には「入院された病院は世界中の医者が来る所みたいだから良い病院に入れたね、安心して良いよ。」と言ってくださり、病院優先で寺務所の御奉公をさせていただき本当にありがたく、助かりました。お陰様で主人も増益寿命の御利益をいただいています。

 

 その後信心改良を果たし、朝の御看経も欠かさずさせていただいている主人ですが、耳が遠いので本人の声が大きく、御看経の声も大きいので(窓が開いているときなど)もう少し小さくしてもらおうかと何度も声をかけようか迷うこともあり、でも同時に、せっかく御看経を上げているのになぁと数日間思っていた事がありました。

そんなある日、亡くなった日堯上人がふと夢に出てこられて「御看経は大きい声であげるのが良いんだよ。そのままで良いんだよ。」と言ってくださり、「あ

あ、言わなくて良かった。」と思いました。夢の中にまで、ご心配をお掛けしてしまったこと、非常に申し訳ないと同時に有難く思いました。

 

 このように、お元気な頃から家族全員お世話になっている御導師でしたから、まさか私たちよりも先に御導師が御遷化なされるなど考えてもいませんでした。

 寺務所で御奉公させていただきました分、他の方よりも多く御導師と接する機会があり、その分、御導師との思い出もあり、書き出しますと枚挙に暇ありませんが、沢山のご信心の思い出を作っていただいたと思います。

 

 これからも家族一同でしっかり信行御奉公に励ませていただきたいと思います。ありがとうございました。