清流寺史

昭和22年11月、初代清流寺ご住職長谷川日序上人が、お師匠様である乗泉寺ご住職日晨上人の命を受け、単身八王子に赴任せられました。御年32歳の時であります。

上人はその時、焦土の都心を見慣れていたにもかかわらず、八王子の駅から遠く高尾山の麓まで焼野原、立っている数えるほどの低い粗末な建物でさえ焼け崩れた姿に胸を締め付けられたといいます。

赴任された翌日から、バラック同様の本町の親会場のご宝前にてお看経に徹せられ「み仏の御経力をいただいて、人々を救わねばならない。そのためには我が命も惜しまない。」とのお誓いを立てられました。

その後、八王子を中心に青梅・昭島・立川に在住しているという信徒宅を徒歩でお助行に歩くも、そのほとんどが疎開もしくは、戦災で連絡が取れないという状態でした。

 

しかし、連絡の取れた30人程の信徒を助け、励まし奮起を促され、また「他の人を助けよと、自分の力で助けられずとも、御仏の御経力をいただけば、必ず助けられる。人を助ける道が、我が身助かる道である。日蓮聖人のみ教えは上行所伝の御題目を唱えるにあり」とご教導くだされました。

 

上人の清く潔い真摯なご信心前、厳しくも温かいお人柄に人々が集まり、ご宝前から御利益をいただかれた随喜信徒が三多摩地区に破竹の勢いで広がりました。

昭和23年1月に寺号公称の認可を受け大正山清流寺と称し、 26年現在地の子安町に弘通の道場を移し、31年には旧本堂を建立されるも、お参詣者が増え続け手狭となり54年に現在の新本堂が建立されました。

平成8年信徒数が4000戸を超え、いよいよ上人のご教導が全盛を迎えた頃、上人が心血をそそがれた旧本堂解体と時を同じくして、惜しまれながらも平成10年6月初代住職権大僧正日序上人御遷化されます。御法寿83歳であられました。

以来第2世を長谷川日堯導師がご住職を継承され今日に至ります。

現在は八王子を中心に日野・立川・東大和・武蔵村山・国立・国分寺・小平・東村山・小金井・昭島調布・府中・多摩・羽村・青梅・福生・五日市と教線を広げています。

私たち清流寺一同は、日序上人の清き流れを継承し、御題目の御経力で一人でも多くの人が救われるようにと活動しているお寺です。

お参詣・ご連絡をお待ちしております。